… 愚か者 … 3
―新入生代表、佐野圭吾(さのけいご)―
教師に名前を呼ばれ、佐野が壇上に上がる。
今よりも顔が幼い。
でも、綺麗な顔だ。
あぁ、そうだ。
男のくせに綺麗なヤツだなと壇上に上がった佐野を見て俺は思ったんだ。
すっと伸びた背筋に少し神経質そうなつり目。
真新しい制服。
佐野は壇上で新入生代表の答辞を読んでいる。
見た目を裏切らず、答辞を読む佐野の声は凛としていて耳に心地良い。
その声をもっと聞きたくて俺は壇上に神経を集中させる。
すると突然、場面が体育館から教室に変わった。
佐野は窓際の席で本を読んでいる。
入学式からひと月。
周りの連中はそれぞれ気の合う者同士でつるみ始め、クラスには自然とグループが
出来ていた。
でも、そのグループのどれにも入らず佐野は一人だ。
登下校に限らず休み時間も昼も佐野が誰かと一緒にいるのを見たことがない。
だけど、それは弾かれてるとか、そんなんじゃない。
中学生のガキっぽさを残したままの俺達と違い、佐野は大人びていた。
俺達がバカみたいにはしゃいでる中、佐野はただ、静かに一人でいた。
そして、俺はそんな佐野に興味を持った。
いや、正確に言えば入学式で初めて佐野を見た時から俺は佐野に興味を持っていた。
『一緒にメシ、食わないか?』
それが、俺が佐野にかけた初めての言葉だ。
『お前が嫌じゃないなら一緒にメシ食おう』
突然の俺の誘いに佐野は読んでいた本から顔を上げ、驚いた顔をした。
切れ長で、つり目気味な目が驚きに少し見開かれる。
そして、その驚きの表情は大人びた佐野の印象を崩した。
あぁ、驚いた顔はこんな感じなんだ。
年相応の顔をした佐野を凝視した俺に佐野は困ったような照れたような複雑な顔をした。
『…迷惑じゃない』
視線を落とし、それだけを言う。
その照れたような顔を十年経った今でも俺は忘れない。
俺の誘いをきっかけに佐野は俺と一緒にいるようになった。
ガキの俺は誰も自分の領域に踏み込ませなかった佐野が俺だけを認めてくれたことが
嬉しくて、自慢げに佐野の側にいた。
佐野が女だったら、高嶺の花を手に入れたっていう表現が一番ぴったりくるんだろうか。
あぁ、本当にガキだな。
それって、恋愛じゃないか。
ガキだった自分が可笑しくて俺は苦笑する。
途端に又、場面が変わる。
そして、今度は俺の実家近くの公園に俺は佐野といた。
もう、日は落ちていて辺りは暗い。
公園の街灯に照らされている佐野の顔は怒っていた。
『そんな大事なこと、簡単に言うなよ』
そうだ、これは俺が高校を辞めると言った時だ。
『逃げるのか』
サッカーのお陰で特待生で高校に入った俺は二年の時に膝を壊した。
日常生活に支障は余りないがサッカーは無理だと言われた。
悔しかった。
悔しくて惨めで、周りに同情されるのが嫌で平気な顔をしていたが腹の中では全てを
壊したいほど苛立っていた。
周りの腫れ物を扱うような態度にクラブの連中のざまぁみろといった視線。
そして、ついていけない勉強。
何もかも嫌で、何もかもに苛立った。
今になるとそれは調子に乗っていた俺に落ちた天罰だと分かるけど、中学からチヤホヤされて
何もかもに優遇されるのが当然だと思っていたガキの俺には、手の平を返したような周りの
態度は裏切りにしか思えなかった。
『どうせ、お前らだって腹ん中じゃ笑ってんだろ』
高校に行かなくなった俺を心配して会いに来た佐野に俺は見当違いにも憤りをぶつけた。
『そんなこと、あるわけないだろ』
『じゃあ、なんだよ。可哀想な俺に手でも差し伸べて、いい人な自分に酔う気か?』
なんて、バカなんだろう。
佐野は何も悪くないのに。
惨めに笑い、わざと佐野を傷付ける。
あぁ、これで佐野とも終わりだと半ば自棄になった俺は左頬に衝撃を感じた。
一瞬、何が起こったか分からなかった。
だけど一瞬の出来事に唖然としながら俺に衝撃を与えた佐野を見ると佐野は俺を
睨み付けていた。
『北野も有田もお前が出て来た時に大変だろうからって授業、全部ノートにとって、お前の
こと噂する連中に怒って。それでも、お前の力になれないって落ち込んでるのに』
俺を睨み付けている佐野の目は何故か悲しそうだった。
『俺だって…』
『佐野…?』
佐野の悲しそうな目の理由を知りたくて俺は佐野の腕を掴んだ。
なのに佐野は顔を背けた。
『どうせ、俺が何を言ったってムダなんだろ』
佐野の声は震えていた。
『佐野』
『…離せよ…もう、いい』
『佐野…』
そうだ、俺は佐野に甘えていたんだ。
バカみたいに拗ねてみせればいつものように佐野が慰めてくれると期待して。
佐野が甘やかしてくれるのが当然のことだと思って。
力で佐野が俺に勝てないのは知っていた。
だから、俺は手の力を緩めなかった。
『離せ…』
佐野の声が涙混じりの声に変わっていく。
俺の為に。
滅多に感情を出さない佐野が俺の為に感情を露わにしている。
ガキ過ぎて救いようがない。
女の子に泣かれるのはウザかったのに、佐野の涙が嬉しいなんて。
どうして、こんな単純なことに気付くのに十年も掛かったんだろう。
早く気付けと遠い所で、もう一人の俺が叫ぶ。
早く、早くと焦っていると今の佐野が俺の知らない男と親しげに話していた。
あの日、会社の連中との飲み会の帰り、偶然、見掛けた佐野は俺の知らない男と一緒だった。
もうガキの頃とは違う。
社会人になった以上、佐野には佐野の付き合いがあって人間関係があって…
頭では分かっていたことだった。
ガキの頃のように佐野の時間を独占出来ない。
頭では納得していた。
なのに、俺の知らない男と親しげにしている佐野を見た瞬間、俺は説明出来ない苛立ちを
感じていた。