… the seabed … 3
散々、有吉さんの胸で泣いて、泣き疲れて泣き止んだ俺を有吉さんは浜辺に座らせると
『飲み物を買ってくるよ』
と言ってパーキング近くにある自動販売機の方に歩いて行った。
目が熱かった。
声を出して泣いたから喉も痛いような気がする。
「……疲れた…」
独りになった浜辺で俺は呟いた。
独りぼっちになった夜の海で波の音だけが聞こえる。
俺が泣こうが喚こうが海は何も変わらない。
バカみたいだ。
そう思った。
散々、泣いて感情を吐き出した後に残ったのは冷静な自分だった。
俺はなんで、あんなに泣いたんだろう。
誠一に振られて悲しかったから?
辛かったから?
寂しかったから?
ううん。
違う。
どれも違う。
悔しかった。
悔しかったんだ。
誠一だけは今まで俺に言い寄ってきた人間達とは違うと勝手に信じていた。
見かけだけじゃなくて俺の中身を見てくれてると。
勝手に期待して、思い込んで…
誠一にばかり期待して、自分は変わろうとしなかった。
それどころか、誠一と付き合ったのだって誠一を好きになったからではなくて真面目を
絵に書いたような誠一に安らぎを期待したからだった。
自分では頑張ったつもりでいながらそのじつ、俺は頑張ってなんていなかった。
色んな期待を誠一に押し付けて、今まで俺に言い寄ってきた人間達のように誠一の
中身を見ようとしていなかった。
だから、そんな俺に気付いたからこそ、誠一は本当の自分を見て、本当の自分を好きに
なってくれた人を選んだんだろう。
誠一を責める資格なんて俺にはなかった。
夜の海を眺めながら、そんなことを思い始めた俺の耳に砂を踏む音が聞こえる。
近付くその音に顔を上げるとペットボトルと缶を持った有吉さんが俺に微笑んで、
そして俺の隣に座った。
「ただいま、はい」
「…ありがとうございます」
汗をかいているスポーツドリンクのペットボトルを手渡され、俺はそれのキャップを
開けた。
俺の横では有吉さんが缶コーヒーを一口飲んでスラックスのポケットから取り出した
煙草を口に銜え、ライターで火を点けようとしていた。
ライターの火が消えないようにライターの周りを左手で囲い、少し眉間に皺を寄せる。
ライターの小さな灯りに照らし出された有吉さんの横顔に何故か俺はほっとした。
有吉さんになら何でも話せるような気がした。
それにあれだけ大泣きをした後で今更、取り繕うものなんて何もなかった。
俺は顔を又、海に向けた。
「……俺…自分に自信がないんです…」
それは誰にも話したことのない俺の本心だった。
有吉さんは黙って煙草を吸っていた。
しかし、全てを話したくて口を開いたのに、いざ、話そうとすると何をどうやって話せば
いいか分からなくて、俺は又、口を閉じた。
静かな、静かな波の音が全てを包んでいた。
「…自分に自信がある人間なんて少ないんじゃないかな」
ぽつりと呟かれた有吉さんの言葉に俺は有吉さんの方に顔を向けた。
有吉さんは吸い終わった煙草を携帯灰皿に捨てた。
有吉さんの顔は海に向いたままだった。
「…でも…有吉さんは…」
有吉さんはいつだって自信に溢れていた。
「自信と努力は比例する」
そう言ってから有吉さんは海に向けていた顔を俺に向けるといつもの笑顔を浮かべた。
「初めて受けた仕事がなかなか上手くいかなくてね。一人で焦って空回りして、
自信を無くしかけた時に親父に言われたんだ。“今のお前じゃクライアントが
不安になる。自信が無いなら努力しろ。自分に自信が持てるまで努力しろ。
自信と努力は比例するんだ!”ってね」
優しい笑顔は微苦笑に変わった。
「それから“自信は努力と比例する”が俺のモットー。なんて、巧己君を口説いて
ばかりのこんな軽い俺の言葉じゃ慰めにもならないか」
『自信は努力と比例する』
有吉さんの言ったセリフを俺は頭の中で繰り返した。
自信は努力と比例する。
俺は今まで自分に自信が持てるように努力したことがあっただろうか。
近付いてくる人全員をどうせ俺の上辺だけに興味を持ったんだと決めつけて勝手に
捻くれて本当の自分を好きになって貰おうとなんてしていなかったんじゃないだろうか。
勝手に壁を作って、上辺だけの付き合いの方が楽だからいいと嘘ぶいて。
本当の自分を見せて嫌われるのが怖くて本当の自分に相手を近寄らせなかったのは俺だ。
「巧己君のイイ所は頑張る所。で、悪い所は頑張り過ぎる所、かな。」
悪い所は頑張り過ぎる所、と有吉さんは俺が傷付かないように言ってくれたけどそのセリフの
持つ本当の意味が俺にはすぐ、分かった。
頑なに意固地になって他人の助けを突っぱねる。
本当は弱いくせに弱い自分を知られるのが怖くて強がる。
有吉さんにやんわりと指摘されたことでそれが自分の悪い所だということを俺は初めて
素直に認めることが出来た。
「巧己君を見てると昔の自分を思い出すんだ。だから、巧己君の迷惑も考えないで
巧己君に構うのかもしれない」
まるで独り言のように呟く有吉さんを俺は黙って見つめていた。
「なんていうか、懐かしいっていうのかなぁ。年をとるとね、少し余裕が出てくるのかな、
冷静に自分を見れるようになるんだ。あ、自分の周りもね。それは決して悪いこと
じゃないけど、時々、無性に寂しくなることがある。あぁ、昔の俺ならもっと意地張って
つっぱてたのに、なんて考えてね」
頭を掻きながらバツが悪そうに話す有吉さんに何故か少し胸の奥がざわついた。
「人間が丸くなるっていうのかな、それは悪いことじゃないし、昔の青い自分に
戻りたい訳でもないけど……あ、なんか、ごめん。これじゃ、只の愚痴だね」
慌てて謝る有吉さんに俺は頭を横に振った。
「そんな、愚痴だなんて…」
有吉さんが飾らない素の有吉さんを見せてくれたことが嬉しかった。
「失敗したな、巧己君の前では完璧な大人の男でいたかったのに」
俺の目を見て、目を細めて笑う有吉さんに俺の鼓動が少しだけ早くなった。
昨日、誠一に振られたばかりなのに。
ほんの何時間前まではたった独りで夜の海に放り出されたような孤独を感じていたのに。
有吉さんが隣に居てくれるだけで俺は孤独だった夜の海の波の間から岸に向かって
泳げそうな気がしていた。
その日、明け方近くに俺は俺のマンションの前で有吉さんと別れた。
『今度は俺の方から電話してもいいかな?』
別れ際に運転席から言われた言葉に俺は頷いた。
独り、部屋に戻ってシャワーを浴びた俺は携帯に届いていたメールを開いた。
『巧己君には酷い話かもしれないけど、俺は巧己君を振った奴に感謝してる。
チャンスは逃さない。自信は努力に比例する。その二つは有吉家の家訓なんだ。
おやすみ』
有吉さんらしいメールに思わず微笑んでいた。
さっき、別れたばかりなのに、又、有吉さんの顔を見たいと思った。
自分の予想しないところで俺の心は動き出していた。
誠一に振られた俺は孤独という名前の夜の海に独り、溺れ、波にのまれたまま、海の底に
沈んだ。
独りぼっちでいる海の底は暗くて冷たくて寂しかったけど。
俺は大切なモノを見つけた。
それは暗い海の底で微かにひっそりと静かに輝いていた。
すぐには人の目につかないように、ひっそりと静かに輝いていた。
“自信”という名前の宝石。
まだ、自分に自信は持てないけど、自信が努力と比例するというなら俺は少しでも自分に
自信が持てるように努力をしたいと思う。
そう、あの夜、俺に色んなことを教えてくれた有吉さんの横に並んでも恥ずかしくない人間に
なる為に。
そして、いつか自分から有吉さんに自分の心を伝えるために。
■おわり■