… 愚か者 … 5
欲しかった。
ずっと、ずっと。
欲しくて、欲しくて。
佐野に触れた瞬間、自分がどれだけ佐野を求めていたか、嫌というほど思い知った。
噛み付くようなキスをしながら、佐野と一緒にベッドにもつれ込む。
余裕なく佐野のパジャマを剥ぎ、佐野の素肌に唇と手で触れる。
先を急ぐ余裕のない俺の愛撫にそれでも佐野は濡れた声を洩らした。
『羽賀…っ』
もう十年聞いてきた声なのに。
ベッドで聞く佐野の声は十年来の友人の声じゃなく、快感だけを追う一人の男の声だった。
十年間、擦れ違っていた。
いや、あの日の佐野の告白じゃ佐野は自覚してたんだから気付かず無駄な時間を
過ごしていたのは俺だけか。
だけど。
きっと初めて入学式で佐野を見た時から気付くのに時間はかかったけれど俺は佐野に
惚れていた。
あんな夢を見たからかもしれない。
佐野との十年間を思い出しながら車を走らせているうちに車は目的地に着いた。
車を道路脇に停め、着いたことをメールで佐野に知らせる。
車の中でシートに深く凭れ、佐野が来るまでの時間潰しを兼ねたタバコに火を点ける。
その一本を吸い終わろうとした時、佐野はやって来た。
「悪いな、寝てたのに来て貰って」
助手席に座り、シートベルトを締めた佐野は申し訳無さそうに言う。
あの日、お互いの気持ちを確かめ合って“恋人”になったのに何を遠慮してるんだか。
「うん?悪かないだろ。恋人、迎えに来んのは普通だろ?」
車を他の車の流れに乗せ、走らせる俺を横目でチラと見た佐野は視線を前に向ける。
「…お前な、そういうこと言うのよせって」
呆れたような口調はそれでも照れを含んでいて俺はそれが楽しくて仕方なかった。
「ところでメシ、どうする?まだだろ?」
「あぁ、適当でいいよ。居酒屋で済ませてもいいし…て、お前、車だから飲めないか…」
「や、別に飲めなくてもいいよ」
信号が赤に変わり、車の流れが停まる
「それか、帰ってから車おいて近くに行ってもいいし…」
停まった車の中で何気なく佐野に視線をやった俺は言葉を詰まらせた。
そういえば、佐野のスーツ姿を見たのは久し振りだ。
今まで意識しなかったモノは意識した途端、意味を持ち始める。
佐野のスーツ姿なんて十年間で何回も見た。
なのに、俺の横に座る佐野の端正な横顔と男にしては細い首。
そして、几帳面な佐野らしくきっちりと着こなしたスーツと綺麗に結ばれたネクタイが俺の
スイッチを押した。
ヤバいな…
制服フェチでもましてやスーツフェチでもないんだけどなぁ…
「なんだよ…?」
まじまじと自分を凝視する俺に気付き、佐野が訝しげな声を出す。
「いや…」
なんて言えばいいのか分からず濁した返事をした俺の耳に聞こえてきたのは信号が
青に変わったのに動き出さない俺に焦れた後ろの車が鳴らしたクラクションの音だった。
どう言ったらいいんだろう。
例えば、あれか。
秘書とか教師とか。
社会的な格好だからこそ、余計、興奮するってやつか。
綺麗に隙なく着られたスーツに、これまたきっちり結ばれたネクタイ。
表情にだって、情事の“じ”の字も浮かんでないのに。
俺の横にいる端正な涼しい佐野の顔がヤってる最中、どんな顔になるか知ってしまった俺は、
メシのことなんかどうでもよくなった。
「お前さぁ、すげぇ腹、減ってる?」
「いや、そんなに減ってないけど」
「外で食うのやめて、ピザかなんか取らない?」
「お前がそうしたいなら、別に俺はいいよ」
俺の提案を佐野は了承する。
「なんか観たいテレビでもあるのか?」
だけど、俺が何を考えているかなんて分かりもしない佐野は無邪気な質問をしてきた。
「…いや、お前には悪いけど、メシ食わしてやる余裕ないっていうか…」
「なんだ、それ?」
俺を見る佐野の目はあくまでも無邪気だ。
「手っ取り早く言うと、早く帰ってヤりたい」
一瞬、何を言われたか分からなかったんだろう。
最初、ポカンとしていた佐野の顔は徐々に赤くなっていった。
「…お前、手っ取り早く言い過ぎだろうが」
車が向かう先を眺め、佐野は不機嫌そうな顔をする。
「悪いな。でもさぁ、お前のスーツ姿ヤバいって。ソソられる」
「馬鹿か。俺のスーツ姿なんて何回も見てるだろうが…」
前を向いたまま不機嫌そうに佐野は呟く。
その佐野の照れてる故に不機嫌な軽口に俺は苦笑すると左手で佐野の右手を手繰り寄せ、
指を絡ませた。
車を降りて、マンションに入るなり俺は佐野の体を抱き寄せた。
ひとしきり佐野の唇を貪ってから、佐野の手を引きベッドに向かう。
あの日から佐野に触れるのは初めてだ。
あの日は笑ってしまうくらい、二人共、余裕がなかった。
だから、今日はゆっくりと佐野を抱きたかった。
ベッドに座り、玄関から繋いだままの佐野の手を引く。
俺に手を引かれ、佐野は俺の隣に座った。
俺を見上げる目は既に玄関でのキスで濡れていた。
その目に引き寄せられるように額にキスを落とす。
額からこめかみ、そして瞼。
徐々に唇に近付きながらそっと佐野のネクタイの結び目に指を入れる。
そして、佐野の唇を捉えると同時に俺は佐野のネクタイを解き、首元から引き抜いた。
まさか、男のネクタイを解くことに興奮する日が来るなんて。
ゆっくり佐野の舌を味わいながら佐野をベッドに押し倒す。
ワイシャツのボタンを外しながら上顎を舌で愛撫すると佐野はくぐもった声を洩らした。
キスがこんなに心地良いと感じたのは何年振りだろう。
お互いにキスに溺れながら俺が佐野の服を剥ぐように佐野も又、俺の服を剥いでいく。
すっかり、お互い丸裸になった時にはキスだけで俺も佐野も抜き差しならない状態になっていて、
それがおかしかった。
「…悪い、本当はゆっくりヤりたかったんだけど、一回、ヌいていい?」
切羽詰まった自分が可笑しくて苦笑しながら佐野に告げる。
「…俺も…だから…」
その俺の言葉に視線を外し、佐野も又、俺と同じ状態だと告げる。
「…一回、ヌいたら、ゆっくり抱いていい?」
手と指を俺と佐野自身に絡め、ゆっくりと高みを求め、動かす。
「…ばか…っ…恥ずかしいこと…っ…言うな…っ」
その俺の手に佐野の手が重なる。
もうお互いの手を濡らしているものがどちらから溢れたものかは分からない。
「…すげぇ…いいんだけど…佐野は?」
高みを目指し、指を動かし続けながら佐野の耳元で囁く。
その俺の唆しに佐野は蕩けきった目で俺を見詰め頷いた。
あの日、佐野の乱れた声や顔を知った、あの日から佐野を求めることにきりがない。
十年間、佐野を一人ぼっちにしていたくせに。
気付いた途端、きりなく佐野を求める、そんな俺は愚か者かもしれない。
と、佐野の唇を塞ぎながら俺は思った。
■おわり■