… ヘヴン … 3
オレのお陰で楽になった…?
仁科さんの言った言葉が信じられなかった。
そんなことあるはずがない。
だって
山本は
「…そんなことないです…だって、あの人は気紛れでオレを拾っただけだから」
そう、山本は気紛れでオレを拾った。
それだけだ。
「気紛れ、ですか」
自分で言った気紛れという言葉に傷付いたオレに仁科さんは困ったように笑う。
「オレをからかって楽しんでるだけです」
笑顔のまま、オレの言葉に肯定も否定もしない仁科さんに更に愚痴ったオレに仁科さんは
微笑みを深くした。
「あの人も無器用な人ですから。それに初恋なら尚更でしょうし…」
ハツコイ…?
「ハツコイって…」
仁科さんの言ったハツコイという単語が頭の中ですぐには漢字にならなかった。
初恋って。
まさか。
「これから先は私から聞かれるよりも組長から直接、聞かれる方がいいと思いますが」
「でも…」
「二人でナニ、コソコソ話してやがんだ」
仁科さんの言葉の真意が知りたかった。
ううん、山本の本心が知りたかった。
なのに。
仁科さんの言葉の続きを聞こうとしたオレの言葉はバスルームから出てきた山本の不機嫌な
声で遮られた。
「随分と早いシャワーですね」
「オイ、ナニ話してんだって聞いてんだろうが」
腰にバスタオルを巻いただけの姿で山本はベッドに歩いて来る。
「気になりますか?」
「オイ、ふざけてんじゃねぇぞ」
そして、ベッドを挟んで仁科さんの前に立つと山本は仁科さんを睨みつけた。
「冗談ですよ。たいした話じゃありませんから早く準備をお願いします」
長い付き合いで山本の性格を知ってるんだろう。
仁科さんは引き際だと思ったのか口調を秘書のモノに変える。
「下で待ってろ」
だけど、その仁科さんをしばらく睨みつけた後、山本はそう仁科さんに命令した。
「…分かりました。そのかわり必ず20分で下りて来て下さい」
諦めの溜め息をついた仁科さんは仕方なくという感じで部屋から出て行った。
仁科さんが出て行ってから、山本は出掛ける準備を始めた。
出掛ける準備をする山本の後ろ姿をオレはベッドに座り、眺めていた。
そして、後はネクタイを締めるだけの時になって、山本は振り返るとオレにネクタイを投げ、
オレが掴んだのを見るとジャケットを手に持ち、ベッドに腰かけてきた。
『ホラ、仕事だ』
初めて山本に抱かれた後、山本はそう言ってオレにネクタイを投げてきた。
それまでネクタイなんか締めたことのないオレはネクタイひとつ締めるのに悪戦苦闘した。
そして、そのオレの姿を見て山本は
『お前、無器用だな』
と言って笑った。
あの日から山本のネクタイを締めるのはオレの仕事になった。
向かいに座った山本の首にネクタイをかける。
「仁科とナニ話してた」
ネクタイを結び始めてすぐ、山本は口を開いた。
「…別に」
「コソコソ話してたじゃねぇか」
不機嫌はまだ治っていないらしい。
「たいしたことじゃないよ」
目線をネクタイに向けたまま答える。
「仁科と仲良さそうじゃねぇか」
「別に…」
不機嫌の治らない声に短く答え終わった時、オレの手首は山本に掴まれ、オレは目線を
山本に向けた。
「餌やってるのは、俺だろうが」
餌…
「オレは犬かよ」
ペット扱いにムっときたオレに山本は意地の悪い笑顔を浮かべた。
「犬ならお前は野良だな。やった餌は食うくせになつきゃしねぇ」
まるでオレが悪いような山本の言い種にムカついた。
「オレが野良ならアンタはヤクザだろっ」
だから、ムカついたままに何も考えず言い返したオレに山本は少し驚いた顔をしてから声を
出して笑った。
「アンタはヤクザか、そりゃいい」
ひとしきり笑った後、山本はいつものオレをからかう時の笑顔を浮かべ、オレの目を
覗き込んできた。
「ヤクザはイヤか?」
山本の手がオレの頬に触れる。
いつもとは違う山本の目にヤクザはイヤかと聞かれてるのに、俺はイヤかと聞かれてるような
気がして、オレはすぐに返事が出来なかった。
俺はイヤか?
「…イヤだって言ったら…?」
それはオレの賭けだった。
オレの質問に山本の目が、楽しそうに細められ、山本の親指がオレの頬を撫でる。
「そうだな、シャブ漬けにしてイヤだって言っても一生、俺から離れられねぇようにするかもな」
ヤクザの山本の発想はやっぱりヤクザの発想だった。
でも、山本の口にした“一生”にオレは安心した。
一生
そう、一生、山本はオレを離さない。
「…シャブはイヤだ」
だけど、安心したことを山本に知られるのがイヤで、オレは山本を睨んだ。
「そうだな、シャブはオレも趣味じゃねぇ。それにシャブなんか使わなくてもお前には
いつも天国、見せてやってるしな」
頬にあった手は頬から移動し、オレの首筋を撫でる。
「オレだけじゃないだろっ…アンタだってっ、昨日だって、オレはもうイヤだって言ったのにっ…
アンタがっ」
いやらしく首筋を撫でる手とあきらかにセックスを意味する“天国”という単語に恥ずかしくて一気に
言い返したオレに山本は楽しそうだ。
「まぁな、今迄見た天国ん中じゃ、お前ん中が一番、イイからな」
どれだけの人数と比べてるんだとムカつきながらも恥ずかしさに目を逸らしたオレの後頭部を
山本の手が包む。
「なぁ、悠」
甘く呼ばれた名前に抵抗を封じられたように気がついた時にはオレは山本のキスを受け入れていた。
「…ん…」
官能を揺さぶるように深く山本の舌がオレの舌に絡まる。
もう少しで歯止めがきかなくなると思いかけた時、山本の唇はオレから離れた。
「仁科がうるせぇからな。今はこれでオアズケだ。その代わり、帰ったらたっぷり可愛がってやる。
だから、一人でヤルなよ」
中途半端な刺激に呆然とするオレの頭をくしゃと撫で、山本はベッドから立つ。
山本の言葉の意味が分かった時には山本はベッドルームから出て行こうとしていた。
“一人でヤルなよ”
誰がっ
「もう、帰ってくんなっ」
からかわれたことが悔しくて部屋を出て行こうとする山本めがけ枕を投げる。
オレが投げた枕は山本の後ろ太股に当たった。
「帰って来るなって言われてもなぁ、オレが帰って来るとこはここしかねぇからな。
だから、大人しく待ってろよ」
枕が当たったことも気にしないで山本は顔だけ振り返り、口の端だけを上げ笑うとそう言い残し、
部屋を出て行った。
ヤクザなんかろくなもんじゃない。
甘い言葉で近付いて。
そして
そして
全てを持っていく
そう、オレの全てを
一人になった部屋でふて腐れてベッドに潜り込む。
シーツに残る山本の匂いに心の中で“何が帰って来るとこはここしかないだよ。バカ”と呟いて
オレはもう一度、眠りについた。
■おわり■