… God bless you … 4
遠藤さんのマンションの近くにあるスーパーでディナーとワインを買い込んで俺達は
遠藤さんのマンションに帰ってきた。
二人でキッチンに立ち、ディナーの用意をする。
綺麗にセッティングしたテーブルにつき、ワインを開け、二人でグラスを傾ける。
会話と食事とワインを楽しんだ俺達は全ての恋人達がそうするようにディナーの後片付けも
そこそこにくちづけを交して、ベッドにもつれ込んでいった。
「ほら、これだよ」
遠藤さんに身体の隅々まで愛されて満ち足りた疲労感でベッドに横たわる俺の身体を
温かいタオルで拭ってくれた後、遠藤さんは一冊の本をベッドに持って来てくれた。
“無に還るとき”というタイトルの写真集のフォトグラファーの名前の所には英二の
名前があった。
「一番新しい、宮本英二の写真集だよ」
遠藤さんから写真集を受け取る為に上体を起こす。
枕に背中を預け、受け取った写真集の表紙を捲る。
遠藤さんは俺の横に座ると写真集を覗き込んできた。
「宮本英二に興味があるのかな?」
遠藤さんの問掛けに俺は顔を遠藤さんに向ける。
「実は知り合いなんです」
「本当に?」
「はい。昔なんですけど…」
「…まさか、元彼とか…?」
遠藤さんが困ったように笑う。
そんな遠藤さんに俺は苦笑を返した。
「違います。大切な友人です」
「そうか…変なことを聞いて悪かったね」
変なことを聞いて悪かったと言いながらも遠藤さんは明らかに安心したような顔をした。
そして、そんな遠藤さんを俺は可愛いと思った。
「…もしかして、妬いてくれました?」
初めて見る可愛い遠藤さんをからかいたくて遠藤さんの顔を覗き込み、意地悪な質問を
する。
俺の意地悪に遠藤さんは困った顔をしてから苦笑した。
「…年上をからかうと痛い目にあうぞ」
優しい目のせいで少しの脅しにもなっていないセリフを吐きながら俺に覆い被さってくる
遠藤さんのせいで手に持っていた英二の写真集が俺の手を離れ、シーツの上に落ちる。
「痛い目ってどんな?」
クスクス笑いながら返し、冗談で抵抗する素振りをする。
そんな俺の手を俺の頭上で一括りにすると遠藤さんは空いてる手で俺の胸を弄ってきた。
「…ん…っ…」
さっきまで遠藤さんに愛されていた胸は俺の意思とは関係なく、すぐに立ち上がる。
その俺の反応に気を良くしたのか、遠藤さんはそこを執拗に責めてくる。
「泣くまで止めないとか、かな」
胸への愛撫を続けながら遠藤さんは痛い目の具体的な案を俺の耳に注ぎ込む。
不意に幸せだと思った。
こんな風に大切な人とベッドでじゃれ合える今が。
大切で、全てが愛しい。
だから、俺は遠藤さんの顔を見つめた。
「…遠藤さんだけが大切だから…遠藤さん以上に好きな人なんて…いな…っ」
胸への愛撫のせいで言葉の最後は途切れたけど。
想いを伝えられたことに満足した俺は足を遠藤さんの腰に絡めると、先を強請るように
遠藤さんに昂ぶり始めた俺自身を擦り付けた。
『もうちょっと大人だと思ってたんだけどね。和久(かずひさ)には和久の過去が
あって今の和久がいるからって頭では分かってたつもりだったんだけど…和久の
口から他の男の名前を聞いたら、やっぱり少し妬けたかな』
二度目のセックスの後、俺の髪を撫でながら遠藤さんはそう言った。
『俺が好きなのは遠藤さんだけだから』
髪を撫でられる心地良さと愛されてるという実感に俺はうっとりと目を閉じた。
『俺もだよ。俺も和久だけを愛してる』
遠藤さんと付き合い出してから何度か言われたことのある“愛してる”という言葉は
いつでも新鮮で。
俺を幸せにする。
深い安心感と幸せな倦怠感に俺はうとうとし始めた。
『疲れただろう。ゆっくりお休み。和久だけを愛してる』
優しい遠藤さんの声と額に落ちるキス。
その深い安堵感に幸せな吐息をつくと俺は眠りに落ちていった。
不意に目が覚めたのは明け方の四時過ぎだった。
俺の隣では遠藤さんが穏やかな寝息を立てている。
遠藤さんを起こさないようにそっとベッドから身体を起こし、フローリングの床に足を
下ろす。
冷蔵庫にあるミネラルウォーターを飲もうとキッチンに行こうとした俺はフローリングの
床に落ちたままになっていた英二の写真集を見付け、拾いあげた。
冷蔵庫のミネラルウォーターで喉を潤した俺はリビングにあるソファーに座り、写真集の
ページを捲った。
あぁ、やっと辿り着いたんだ。
英二の写真を見た瞬間、そう思った。
太陽の光が木々の間から差し込み、生命の力強さを誇っている。
そこに昔の英二が常に纏っていた享楽的で退廃的な雰囲気は微塵もなかった。
代わりにあるのは、充たされた人間の持つ、全てを認め、受け入れ、赦す、穏やかさだけだった。
英二は辿り着いたんだ。
相手を充たすだけでなく相手に充たして貰う幸せに。
俺が充たして貰うことに必死になって、相手を充たすことをしていなかったことに気付いたように。
英二は大切な友人だった。
英二と身体の関係はあったけど恋愛感情はなかった。
俺と同じように英二は辿り着いた。
ページを捲るごとに浮かんできたのは英二と過ごした懐かしい日々だった。
でも、その写真集の中に俺の知ってる英二はいなかった。
どれくらい、英二の写真集を見ていたのかは分からない。
カーテンの隙間から朝日が差し込み始めた時にようやく俺は最後のページに辿り着いた。
そして、その最後の写真を見て、全てを悟った。
あぁ、英二を変えたのは彼だ。
彼のおかげで英二は変わった。
俺が英二に出会って変われたように。
木々の隙間から溢れる暖かい柔らかい光を受け、こちらに背中を向けている青年は綺麗に
輝いていた。
その青年の優しい輝きは英二がどれだけ青年を大切に思っているかを観る人間に訴えかけてくる。
英二は神を信じていない。
俺もこの世の中にそんなものが存在するとは思わない。
なぜなら、そんなものに縋らなくても人間はこんなに慈愛に満ちた瞳で誰かを見つめることが
出来るのだから。
少し肌寒いリビングで澄んだ冬の朝の空気を吸い込む。
膝に置いていた写真集を閉じ、そっと立ち上がり、ベランダに近付き、カーテンを開け、朝日に
包まれ始めた都会の街を眺める俺の背後から俺に近付いてくる人の気配がする。
「風邪をひくぞ…」
俺の体を心配する言葉の後に俺は背中から優しい温もりに包まれる。
「……あたたかい」
「…俺も和久といると暖かいよ」
ぽつりと洩らした俺の言葉に遠藤さんはそう返してくれる。
より深く抱き締められ、背中越しに感じた遠藤さんの鼓動に俺は何故か泣きそうになった。
いつまでも、いつまでもこの幸せが続きますように。
そして、願わくば彼の、英二の幸せも。
クリスマスの朝に俺は大切な人の体温に包まれ、心の中でそっと呟いた。
■おわり■