… 
breathe … 3










「行くなって。俺以外の男と遊ぶなって…言って欲しかった…」


俺の腕の中に静かに収まっている愛しい存在の俺に甘えているがゆえの我が侭。
その我が侭は幸せな誤算だった。

自分の計算通りに物事が進まなかったのに俺の心は充たされていた。
法廷では許されない誤算もベッドの上では全てが許される。

「俺以外の男と遊ぶな。俺以外の男と話すな。俺以外の男と、こんなことは
 許さない…」

巧己を抱き締めていた腕を巧己から離し、まだ、繋がっている部分を指でなぞる。

「…ぁ…」

なぞられる感覚にピクンと反応した巧己の耳元で俺は続けた。

「口にしないだけでずっと頭では思ってたよ。只、そんなことを言って巧己に
 嫌われるのが怖かったんだ」

掴みきったと思っていた巧己の性格を俺はまだ、完全には把握していなかった。

一緒に暮らし始めて少し経ってから俺の腕の中で巧己がぽつりと話した巧己の
家族の話を俺は思い出していた。


『…俺は居てもいなくてもいいんです。きっと…』


家族の中で自分は居ても、居なくてもいい存在だと。
寂しそうに笑う巧己に俺は言った。


『俺が巧己を必要としてる。俺だけじゃ駄目かな?』


寂しそうな笑顔は泣きそうな笑顔に変わった。

巧己が自分に自信が持てないのも育った環境に関係があるのかもしれない。

必要とされることで自分の存在価値を認められる。
例え、それが自分を縛り付ける嫉妬だとしても。

それならば、それを巧己が必要としてるならいくらでも与えよう。
何故なら、俺は巧己を充たす為にいるのだから。

巧己の両親が与えてやれなかったものを代わりに俺が与える。
そう、俺の付け入る隙間は巧己の両親が造り上げた。

「…稜一さんを嫌いになんて…ならな…っ」

「俺が、俺だけが巧己を必要としてる」

愛なんてそんな甘ったるいモノは要らない。
そんなモノは巧己に必要ない。
巧己に必要なのは身動きさえ出来なくなるような“必要とされてる”という実感だ。

伸ばした手で巧己自身を捕え、愛撫する。

「……ぁ…っ」

薄く開いた唇から溢れる吐息すらも逃がしたくなくて、巧己の唇を塞ぐ。
慣れた口付けさえ俺達の間に溝を作ることは出来ない。
俺以外の男の痕跡は何の意味も持たない。
何故なら、俺と出会う前の巧己は息さえしていなかったのだから。
俺と出会って巧己は目を覚まし、呼吸を始めたのだから。


























「上手くいってるみたいだな」

「うん?」

客の注文を運んでいる巧己をチラッと見ながら梶が言う。

「最近、巧己君が生き生きしてる」

「あぁ」

オーダーしたターキーのグラスを口に運び、俺は応える。

「お前みたいなヤツでも巧己君には必要なんだな」

「お前みたいなは余計だろう?」

苦笑混じりの俺に梶も苦笑を返す。

「それに…」

「それに?」

梶の苦笑は優しい笑顔に変わる。

「お前も、昔の顔に戻ってるよ」

「昔の顔…?」


昔の顔。

俺の昔の顔。


「オイ、それってどういう意…」

知りたかった台詞の意味は俺の背後から聞こえてきた客のオーダーの声に梶が
応えたことで聞けなくなった。


昔の俺


新しく入ってきた客の相手をする為に梶が俺の前から離れる。
俺の方を向いて、右手を顔の前に上げ、『悪い』というポーズをとる梶に俺はグラスを
持ち上げ『気にするな』というポーズを返す。

独りになったカウンターで俺は煙草に火を点けた。


昔の俺―


まるで何かのキーワードのように頭の中で繰り返す。


昔の俺。


そう言えば、まだ、子供の頃は“正義”がこの世に存在するものだと思っていた。
正しいことを行なった人間が敗けることなど無いのだと。
裏の世界の人間を弁護する父を嫌悪するほどに。
法律は弱い人間を救う為にあるのだと。
父のようにはならないと意地のように同じ道に進んで知ったのは現実だった。
別に誰も恨んじゃいないし、世の中を諦めた訳でもない。
ただ、現実は現実だっただけだ。
それ以下でも以上でもない。

それだけのことだ。

吸い込んだ煙はいつもよりも苦いような気がした。


「おかわり作りましょうか?」

いつの間に来たのか巧己が俺の隣で空になったグラスを見付け、俺に問う。
そのまだ、現実を知らない柔らかい微笑みに俺はしばらく見惚れる。

「…あぁ、お願いしようかな」

「はい、すぐ用意しますね」

現実が現実でしかないのなら、俺の腕の中に巧己がいることも現実だ。

そう、この現実に汚れてない真っ直ぐな瞳が俺のモノなのも。
それすらも否定しようのない現実。

まるで、その現実を確認するように巧己の手を握る。

「稜一さん…?」

不思議がる巧己に優しく微笑む。

「一緒に帰ろう。待ってるから」

巧己のバイトはあと一時間で終わる。
それを分かっての俺の言葉に巧己は「はい」と応える。
その台詞の後、柔らかく微笑む巧己に忘れていた呼吸の仕方を思い出したような気がした。






■おわり■




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